進めなまけもの

きょーと建築のたわごと

今回の設計課題の覚え書き(ながい!)

ふう、やっと課題が終わった。建築学科は設計課題が半期にふたつある。毎回課題が終わるたびに喪失感がどっと押し寄せる。それだけ提出前の1週間ほど課題に張り付いている(もっと前から焦りなよ)ということ。

 

今回は「一客一夜の宿」を烏丸周辺につくる課題。

 

敷地調査をしなきゃ!って思って足を運んでは、お昼時なのをいいことに毎回ランチを楽しんでしまった。すごくおいしいお店が多いのが悪い。親子丼に海鮮定食に、おにぎりセット。

そして、あのあたりは古い町家に真四角な灰色のビルが混ざっていて、その緩急が好きだった。でも、町家は必死になって保存しようとしていることがなんとなく透けて見えるから好きになれない。

 

ゲストハウスみたいな建物には泊まったことがないし、どういう機能が求められているのかわからなくて迷った。

結局、先月わたしの祖母が京都に来てくれた時のことを思い出して設計した。祖母は足が悪くてお寺を回るのが厳しく、ほかの家族に気を使ってホテルで休みたがっていた。四条烏丸あたりのビジネスホテルはなんだか無機質で、せっかくはるばる来てくれたのにすごく申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。なにか、その場にいることで京都の空気とか趣を感じられる場所を作れたらいいなと思った。

 

そして、敷地調査兼ランチ巡りの結果選んだ場所は細い路地を抜けた行き止まりの場。路地は濡れたような石畳が敷きつめられていて、町家が建ち並んでいる。なにか作業をする職人さんの物音や、生活をする家庭の物音が格子から透けて聞こえるのがよかった。人通りの多い通りを少し入るだけでプライベートな空間があることが京都らしくて好きだった。

 

でもなあ、そういうことを設計にうまく落としこめなかった。こういう楽しみ方や過ごし方をできたらいいな、ということはすごく考えるのが楽しいのだけれど、そこにつながる建築を考えるのが難しい。というかよくわからない。

 

で、おおまかに三つのキューブが重なりあった構造の建物を設計した。

通りをぬけて階段をおりて半地下部分に囲炉裏を置いてリビング、続いて地面から少し浮いたところに小さな図書室、そして通りを見下ろせる高いところにこじんまりとしたベッドルームを置いた。


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でも、本当に時間が足りなかった。そして足りない割に模型をつくると楽しくなってきて変に囲炉裏の鍋とか本棚とか凝ってしまって、しまいには路地の石畳をすごく似せてしまった。

(忘れないように書いておくと、LL粒のジェッソに黒い水彩絵の具を混ぜてまだらに塗り、真四角に切って角を落とし、カッターの先端でぶつぶつつぶす)


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で、締切の1時間後に講評会があってそこでえらい建築家の先生方にぼっこぼこにされた。

まあ、図面が適当だった。自分でもひどいなと思ったし、というかまず書き方が分からなかった。ひとのプレゼンボード見ても図面なんて特に見ることもなかった。模型見ればだいたいわかるじゃん、とか思っていたし。断面図とかは、もはや自分が設計した建物なのに意味がわからないし。

「去年後期の教育が悪かったんだね、、」って嫌味たらしく言われたけど、なにも教わったつもりないんだけどなあ。まあ勉強するつもりがなかったわたしが悪い。

質疑応答の時間で、建築そのものに触れることなく図面の酷さに終始してしまったのが悲しかった。見せ方の基本を押さえておかないと、そのもの自体にはまだ辿り着いてもくれないのか、と。勉強しよう。

 

というか、課題を進めるうちに勉強しなきゃ!という気持ちになったんだった。というか、ほんとうにさっきも書いたけど設計がわからない。ほかのひとのものを見ても、こりゃ手が届かんわ、という気になる。

どうしてそんなものを思いつくのか?わたしは名建築を見ていないのか?観察すればいいものを作れるのだろうか?

なんとなくプレゼンに選ばれる(毎回20人ほど?)ひとの作品を見ていると、ああ建築っぽい、って感じがする。その建築らしさってなんだろう。そんな奇抜なものをよく思いつくなあ。

この先なにか鍛えたりすれば思う通りの設計に結びつくような思考が生まれたりするのかなあ。こういうことをこれからも続けていくかと問われたら自信が萎む。みんながいいというものを自分なりにつくれるのか。

 

この先わたしどうしていくんだろう、と考えている最中に、「建築をつくってひとの生活を生み出すより、いまそこにいるひとの生活を見つめたい」ってことに気づいた。

どういう風に街並みが変化して、それはどういったひとの感情や過ごし方に関わっているのかということ。

だから、京都の景観政策とかほんとに嫌い。一律に整備してなにがおもしろいんだろう。袖看板のなくなった四条通の写真を見せられても、なにも興味を覚えない。古いものと新しいものがごちゃ混ぜになって、したいようにしているところを見るのが好き。

人の匂いが強く感じられるところが好き。これはずっと言ってる。

 

2個上の先輩の課題を手伝っていた時に、「先斗町が嫌い、木屋町の方がまだマシ」という話が先輩と合ってうれしかった。情緒あるように見せかけたところより、ごみごみしたところの方が息をしやすい、少なくともわたしには。

そういう感覚を大事にしたいなと思う反面、たぶんそう思うひとは少数派なのだろうと思う。その先輩は自分のこう過ごしてみたいという気持ちから設計をはじめると言っていた。実際、先輩の設計をみてわたしも行ってみたい!体感してみたい!と思えた。そういうひとの感覚に訴えかけるものを自分の感覚から生み出せるなら、すごいことだ。自分の感覚に頼って設計したいよなあ、と思った。もし設計をこの先も続けるならそういうものをつくりたい。

 

で、考えたところ「自分がなにが好きかはっきりさせておこう」と思った。どういう場所でどういう過ごし方をするのが好きなのか。そこからはじめないと、ほかのひとを見つめるに至れない。

それには、やっぱり日々書なくちゃだめだ。そんな気がする。

 

最近のわたしは、、と言い出したら長くなったのでまた今度。

 

 

 

 



 

どしゃぶりならどしゃぶりで

マーガリン塗った食パン1枚をインスタントコーヒーで流しこんだ。ふとスマホで天気予報を調べ窓を開ける。ざあざあ、雨がまっ逆さまに地に落ちていた。ベランダを叩きつける雨音は、ますますわたしの頭痛を強めていく。衣装ケースの上に山積みになった洋服と片付けられずじまいの大量の鍋や皿にも嘲笑われているような気がする。とりあえず、とまだ体温が残る布団に体をさしこんだ。そのままスマホに手を伸ばす間もなく寝てしまった。

 

最近、明らかに記憶が曖昧になっている。1日前のことも2日前のことも1週間前のこともすべてぐちゃぐちゃになったまま脳に収納される。なんかこんな話を聞いたなあ、誰からだったっけ、スケジュールのアプリを開いてやっと思い出す。楽しかった、悲しかった、悔しかった、嬉しかった、そんな輪郭のないおぼろげな心地だけが毎日積み重なるだけだ。日記をつけるのも厄介になって、わたしがだんだん雑多なのか空っぽなのかさえも分からなくなった。

 

面倒なことばっかりだ。わたしの目は薄い膜を貼らないとはっきり対象を捉えてくれない。顔を洗ってぱしゃぱしゃ化粧水で浸してジェルと乳液を塗りたくらないと、すぐにからから涸れる。足は大きいのと幅があるのと高さがあるのとで、ちょうど収まる靴すら見つからない。手首とかかとに2箇所ずつ、首に1箇所、虫刺されが腫れ上がる。虫にだけ、昔から妙にモテてしまう。

そして、やっぱり90分座っているのはいやだ。勉強するならまだしも、スマホをいじってぼーっとするために大学に行くのはいやなのだ。じゃあ勉強しろよと思うけど。体がむずむずする。一昨日は思わず自転車で学校から離れてしまったし、今日は行ってすらない。だけど、単位だけはぜひ欲しい。

 

目を覚ますと11時半だった。午後から次の課題の敷地調査のはずだった。どうせ中止だろうと思っていたのに、気をつけて来てください、とのこと。

こんな低気圧の日に街歩きなんかばかげている。するならひとりでイヤホンを両耳にねじこんで歩きたい。でも今はそんな気分にもなれない。たぶんこの課題は取り組む時間も少ないし、またへろへろになりながら仕上げるのだろう。

 

家から出たくないくせして、自分の家にいるのもあんまり好きでない。とりあえず外に出たいけど居場所もないしなあと思う。久しぶりに睡眠時間をちゃんととって体の重さもすこし消えた。ひとまず、前の課題の模型を片付けに行かなくては。

ぱらぱら程度になった雨の中に自転車で進む。"この街じゃ俺ひとりいなくなったって、誰も気づきゃしないじゃない"と耳元で歌う声が聞こえる。傘を持ったままではうまくブレーキをかけられなくて、よろめいてしまった。

 

 

 

 

 

 

くるりはほんとにいた

土曜日にくるりのライブに行ってきた。3日経ったいまも、ライブの余韻がほやほやのままで残っている。なんだろう、このときめきというか陶酔というか心の弾みは、と思ったら恋だった。くるりを聴いているときも聴いていないときも、体の真ん中で上から下までくるりがすうっと流れている。

いやあ、ほんとうによかった。基本的にライブは楽しくてよくなかったライブは無いんだけれど、今回はとくによかった。はじめて行くし、キャパもZeppだから大きいし、有名な曲でも知らない曲は多いし、まだにわかでしかないし、と尻込みしていたけれどすべてをひっくり返された。

 

1曲目「琥珀色の街、上海蟹の朝」の時点でもう泣きそう。はぁ〜〜このひとたちがくるり〜!という感動。そしてはまったきっかけの曲をいちばんはじめに聴けるなんてそうないもの。すごくきらきらしていてかわいい曲。小籠包…食べたい…。

「シャツを洗えば」、ああ好き。洗濯だけでこんなにすかっとした曲を作れるんだ…とおもう。洗濯がちょっと楽しくなるもん。この調子でお風呂掃除とかアイロンがけの曲とか作ってほしい。CDのユーミンの声も好きだけどファンファンの声も好き。

「ソングライン」、ぐちゃぐちゃになった雑多をよけながらかわしながら眺めながら前に進んでいく歌のように聴いている。広島がテーマだと勝手に思っていて(エルドレッドの応援歌が急にバックで流れるし)今春広島に旅行にいった時のことを思い出す。前にブログで「くるりはお茶漬けみたい」と書いたけれど、この曲がいちばんお茶漬け感ある。心に沁みる、やさしい歌。…もっと書きたいけど長いしネタバレになりそうだ。聞いたことない曲も何個かあったけれど、なんとなくで体を揺らして楽しめた。

 

3人ともすごく素敵なんだけど、トランペットのファンファンちゃんがほんとにかわいかった。終わってから年齢調べてびっくりした…。ちゃん付けできる年齢じゃない。曲の中でもトランペットを吹く以外の時間が多いのだけれど、タンバリンかゆらゆら体を揺らしている。舞台の真ん中、3人のセンターでひとり誰よりも楽しそうで、岸田さんよりもファンファンちゃんに夢中だった。

 

背中をぼんっと押すわけでも、知らんぷりするわけでもなく、そっと手だけ添えてくれるような慎み深さに体ごと甘えたくなる。心の窪みも少しだけなだらかにするか、窪みさえもそのまま受け入れてくれる包容力がある。

 

バイト終わりに鴨川に沿って自転車で走るとき、いい気分になってよく歌う。こういうのすごくいいなあ、その辺で信号待ちしてるバイクのおっちゃんも聴いてけよ下手くそな歌、とか思いながら高らかに歌う。もうそろそろみんな窓を開け始める時期だから控えなきゃだけど。そういう時くるりはよく馴染む。存分に気持ちよくなって1日を終えられる。

 

京都で7月にまたライブあるんだけどもう取れなかった…。ツアーのスパン短すぎない?そんなものなの? とりあえずNetflix入ってリラックマでも見ようかな。くるりが主題歌、岸田さんが挿入歌つくってる。エレカシの宮本さんみたいな雰囲気出しながらリラックマの話をする岸田さんに和んだ。

 

 

 

 

 

さいきんのゆ④

・魔の6連勤2日目。いくらバイトの人手が足りないとはいえ、いくらゴールデンウィーク後半すべてバイト出られないとはいえ、6連勤…。居酒屋バイトそのものはそこまで嫌じゃないけれど、体力的にも精神的にも摩耗してしまう。普段あんまりひとと話さない代わりにバイトでたくさん話すから、バイト終わりはしゅるしゅる萎む。日常的にいつも友だちが周りにいて授業中にもおしゃべりしているようなひとってほんとうにすごい。単純に言葉を発するのってけっこう疲れませんか? 

 

・玄関ドアを開けてもわんと夏が流れこんだ月曜の朝。夏だよ、なつ。春はどこか行ってしまった。雨が降って立ち上がるじめじめしたアスファルトの匂いも、目が覚めて背中の寝汗のせいで服を脱いで二度寝したくなるお昼も、とりあえず高瀬川に沿って気まぐれサイクリングを始める深夜0時も、ああ夏。

最近はなんだかすごくいい調子。5月はサークルではじめての東北に行くし、はじめてのくるりのライブにも行くし、家族が京都に来る。あと、はやくクロスバイクを買いたい。夏休みにはしまなみ街道をひた走るんだ。地元の北海道に持って行って、古びた田舎町まであてもなく行くんだ。それまでのすべての面倒を飛び越えて、夏に先回りしたい。

 

・今はじめて自分自身で設計している。ああセンスがないなあ、と悲しくなる。ほかの人の様子を見ては、虚しくなる。向いていないよなあ、わたしこの先どうするんだろうと思う。ほんとうに将来やりたいことだとか就きたい職業がない。強いていえば、老後夫婦でお惣菜屋さんとか喫茶店を開きたい。

そもそもそこまで建築に興味が無い。有名な建築家が建てた建築物に行きたいとかまったく思わない。知らない町の商店街とか住宅街を歩くのは好き。人の匂いがする場所が好きだなあって最近思う。オブジェとかパビリオンみたいなきれいなものは苦手。なんだろ、人文学系の研究の方が向いてるのかな。

 

 

春らんまん

ふわわわわ…眠い。毎日お昼あたりに起きていたのに、朝7時10分に起きた。今期は一限が週に4個もある。できるだけ出るつもりではいる。

 

7時10分に起きてから、微妙に時間が余るなあと思ってじゃがいもをカットしてチーズを乗せてトースターで焼いた。それにマーガリンを引いた食パンとコーヒーで朝ごはんだ。朝ごはんをしっかり食べなきゃ二限の時間にはぐうぐうお腹が鳴り出してしまう。去年の春は椎茸とかアスパラとかを焼いて食べていた。そのうち、ほとんど午後からしか大学に行けなくなってしまって食生活もだらだら乱れていった。ちゃんと栄養のあるものを食べていかなくては。冷蔵庫には母からかなり前にもらった魚がたくさん眠っている。

 

結局時間ぎりぎりになって一心不乱に自転車を漕いだ。どきどきするなあ。ああこのまま春休みが続けばいいのにって何度この春休みに思ったことか。知ってる顔も知らない顔もぎゅうぎゅうに教室に詰まって整然と椅子とか机の間に収まる。やっぱりちょっと心がぴりぴりする。周りにもわたしと同じようなトレンチコートを着ている人がたくさんいた。

 

一限の数学の授業はだんだん記号が増えてよく分からなくなってくるし、先生がホワイトボードの下まで几帳面に書くからみんな右に左に頭を振るはめになった。たぶん、理解ができれば面白いんだろうなあ。大学の授業はそんなことばっかりだ。

 

二限は建築家の設計論の授業だった。教科書を用いることもなく、自らの設計事務所で手掛けた建築を例示しながら90分話し続ける授業だ。先生のネクタイが角度によって青や赤にぎらぎら輝いていて、やたら気になった。

「人間は地表を発酵させる微生物」という言葉がおもしろかった。多分その先生の言葉じゃなかったかもだけど。ほかの先生もそうなんだけれど、建築家ってなんてポエマーなんだろうとよく思う。建築を語るときは普段とは違うモードに切り替わっている気がするくらい。自分のことばで喋ることができる理系分野って他にないんじゃないか。表現がほんとうに面白い。詩的とはいえ、直感的な感覚も手に取るようにわかりやすい。いいなあ、借り物じゃない言葉を紡げるひとはほんとうに素敵なひとだ。

 

とてもぽかぽかしていて陽気な春空だ。工学部の建物を裏口からでると、むずがゆい匂いがどこからかしていた。小学校の給食室の排気口の前を通った時の匂いといっしょだ。体育が終わったあと自分の前と後ろで騒ぎながら歩く集団の中で、ぽつんとひとりでぼんやりしながら教室に戻る途中に漂っていた、あの匂いだ。さみしいなあと思いながら、ちょっとほっとする。

 

随分久しぶりに大学図書館に入った。思ったよりも人がいて、右往左往しているのはわたしだけだった。二限で紹介していた東京の地形に関する本を読みたくなって借りに来た。学生のうちに本を読んだほうがいいですよ、と言っていた。その通りだと思う。そして本は読みたくなった時に手に取るべきだ。読みたい気持ちがまだ続いているうちに、今日の夜にでも、はやく読みたい。

そうそう、本を読みたいとずっと思っていた。思うだけ、もしくは買うだけで読むことはここ一年ほとんど無かった。けっこう知的好奇心は強いほうだと思う。知らないことを知ろうとすると、頭の領域がじわじわ拡がっていくようでわくわくする。小説はなんだか最近しんどいから、新書を読みたいなと思う。

 

去年の春と今年の春はなにが違うだろう。化粧に慣れたとか、好きなお店が近所に増えたとか、それくらいかもしれない。なんにせよ、春は好きだ。うららかな陽射しは心までじんわり暖める。星野源の桜の森が頭の中でリピートする。土のなかで眠りに耽っていた虫ものそのそ地に這い始める季節だ。京都の2回目の春はまだまだこれからだ。

 

 

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近所で観光客に混じりながら撮った桜。京都ってどこに行っても桜だらけなのね…。

 

わたしの高校時代のこれといったエピソード5選

・高1のとき、美術室の掃除がクラスに割り当てられていた。週に一度、班ごとにやるのだけれど、その班がすごく苦手なひとたちでわたしはいつもひとり適当にモップをかけていた。美術室の黒板の横の壁に、絵の具の色見本が貼ってあってそこを眺めるのが好きだった。こんな色があるのか、ふむふむ、とかでなく、ただ眺めた。段々ふやけていく色彩にいつも夢中になっていた。

 

吹奏楽部に入ったけれど、これがもうわたしにまったく合わなかった。集団生活って向いていないんだね、適応能力が低いだねって嫌になるほど感じさせられた。秋も半ばの頃、一人残って誰もいない教室の隅で、窓の外を見つめながらフルートを吹いていた。川沿いのラブホテルの煌めきを見て、なんだかやるせないなこんなのやってられるかよと思ってやめた。朝はやく起きて自主練、昼休みも使って自主練、放課後はもちろん部活、家に帰ってからも吹いた。けれどほんとに上達しなかったしやる気もなくなった。楽しいことしたほうがいいよ、その楽しいことがなにかはわからないし、ラブホの中にそれがある訳でもないけれど、ただ煌めきが眩しかった。

 

・修学旅行で長崎と京都に行った。長崎は中学の修学旅行でも行ったから、特にこれといった目新しさもなかった。班の女の子たちは普段からよく一緒にいるというわけでもなかったけれど、ちょうど温度が同じくらいですごく居心地がよかった。自撮りというものをまったくしないようなひとたちだった。京都での1日自由行動という日の朝、旅館でみんなで日曜朝の戦隊ものを見ていたのがとっても楽しかった。でも新千歳空港に戻ってきたとき特になにも言わずみんな帰って行った。

 

・彼氏がはじめてできた後、母親にそのことを伝えるのが難しかった。そういうことを話す関係でも無かったし、どういう反応をするのかが分からなかった。でも土日に外出をする言い訳を作るのは、友だちが少ないわたしにはきつくなっていった。結局、母親のパート終わりにいっしょにランチをするいつもの待ち合わせ場所に、彼氏を無理やり連れていき鉢合わせた。で、すぐ彼氏と別れて母とふたりで小籠包を食べた。いいなあ、と母親はぼんやりしていた。そして、自分の身は自分で守りなさいよ、と言った。うんと頷くしかなかった。そう言うのが母親の役目だと思ったんだなあ。はたまた、娘に彼氏ができたらそう言おうと決めていたのかもしれない。その一言は今も、たぶんこの先もわたしの中に残り続けると思う。

 

・3年のお正月は、勉強した。いつもお正月は実家でおばあちゃんとおせちを食べてヒットパレードを見てもう片方のおばあちゃんの家に行ってお年玉を貰いうだうだ過ごしていたけれど、そうも行かなかった。おせちを食べたあと、センターパックをリュックに入れて近くのカフェに行った。作業服姿のおじさんや中学生くらいのカップルもコーヒーを飲んでいた。わたしはがたがたぐらつく長椅子に座りながらセンターパックを解き進めていた。やらなきゃいけないとか、合格してやるとか、そんな強い気持ちでなく、まあ普通やるかなこのままじゃ落ちそうだしね、くらいの気持ちで一日中センターパックに向き合った。母親と父親はわざわざ正月からそんながんばるだなんてすごいねえと言っていた。まあでも翌日に母親といっしょに大混雑のデパ地下に行き福袋を分担して買ったりしてたし、まあ受かってよかったよなあ…。

 

 

春になったら

はやく暖かくならないかな。わたしの地元よりはぽかぽかしてるけど、これはまだまだ。

 

ああなんかもうつまんないなあやになっちゃった空しいよまったくどうすればいいのって朝4時まで眠ろうともしないでぬいぐるみを抱き締めてると、暖かかったらふらっと外に出て大声で歌いながら自転車でそぞろに走り回れるのにって思ってしまう。

 

布団の中では自分と対峙する以外なにもできなくて、口を半開きにして枕に落ちる涙に向き合いたくなくていやに時間が過ぎてしまう。

いつも部屋で着ているちょっと毛玉のついたワンピースに1枚羽織って外に出たい。入学と同時に買った赤い自転車は、やけにサドルが硬くて3時間も乗るとおしりの筋肉がかちこちになる。お財布とスマホだけトートバッグに入れて気ままに西へ西へ走り出す。

 

夜の間は、時間が進んでいるという感覚がない。夜の11時も1時も3時も夜空は大して変わらない。もしかしたら今日こそはこのまま夜が続くかもしれない、なんてばかな期待を抱かせるほど夜は大らかにひた走るわたしを慰める。

 

表情が張り付いたままスーツ姿で歩くサラリーマンも、手を繋ぎながら気だるそうに歩くカップルも、徘徊なのか散歩なのか微妙なところにいるお爺ちゃんも、足の回転をひたすら繰り返す未成年のわたしも、夜のもとでは等しい価値を持つ。わたしはそう信じていたいし、そうあってほしいから夜に彷徨く。

 

京都の街は大きな通りが多くて、道を選べば走りやすい。道路の向こう側のひとがよく見えないくらいに太い幹線道路が好きだ。五条通とか堀川通とか。あのへんは特に何の思い入れもないから、無心のまま飄々と走れる。誰もわたしのことなんか見ていなくて、びゅんびゅん光がそばを通り抜けていくのが気持ちいい。へたくそな歌も掻き消されて夜の帳に包まれていく。

 

そうだなあ、このまま蒸発してみてもいいかもしれない、と思う。比喩にしても、文字通りにしても。どうしてわたしは固体なんだろう。わたしの肌が溶け、足も手も目も口も耳も胸もお尻もゆるゆるにとろけて、地から離れてみたらどれだけの快楽があるのだろう。ねえ分かるよねそう思うよねって途中で寄ったローソンのバイトに問い詰めたくなる。そんな眩しい光の中でくらくらしない?

 

実際のところ、現実逃避、逃げているだけというのは十分わかっている。大人のひとがお酒に逃げるみたいに、わたしは夜に匿ってもらう。それでわたしは満足している。安上がりだし。

 

https://nyuru660.hatenadiary.com/entry/2018/10/31/190828

前にも書いてたね。何も変わってないや。